萩原健太郎
技の訪ね人
萩原健太郎 (取材・文)
文筆家。日本文藝家協会会員。デザイン、インテリア、北欧、手仕事などの周辺の執筆を中心に活動。著書に、『暮らしの民藝』『北欧の日用品』(エクスナレッジ)、『民藝の教科書』(グラフィック社)、『北欧とコーヒー』(青幻舎)『北欧ではたらく 移住して見つけた私だけの生き方』(左右社)など。ライフスタイルブランド「あたら-もの」のディレクター、アパレルブランド「SOCIETY OF LOCAL ARTS」のクリエイティブアドバイザーなどを務める。

書道用紙から凧まで用途を問わない和紙

まずは、「和紙」について説明しておきたいと思います。
和紙は、おもにコウゾ・ミツマタ・ガンピといった植物の繊維を原料としてつくられます。その歴史は7世紀頃にまでさかのぼり、中国から伝わった製紙技術が、日本の風土や文化に合わせて発展してきました。奈良・平安時代には公文書や経典に用いられ、やがて武家社会や庶民の生活にも広く浸透していきます。主要な産地としては、岐阜県の美濃和紙、福井県の越前和紙、高知県の土佐和紙などが知られています。用途も幅広く、書道用紙や障子紙、襖紙のほか、工芸品や包装材、近年ではインテリアやアート作品にも活用されています。

大洲和紙は、愛媛県喜多郡内子町の周辺で受け継がれてきた、伝統的な手漉き和紙です。伊予の紙は、平安時代に編纂された『延喜式』にも記されています。史実では、江戸時代初期を起源とし、大洲藩の奨励のもと、小田川流域の豊かな水資源と良質なコウゾに恵まれて繁栄しました。

大洲和紙は、薄くて丈夫で、しなやかな風合いが特徴です。書道用紙や障子紙、包装紙などに用いられてきたほか、内子町でつくり続けられている和ろうそくとも文化的なつながりがあり、和ろうそくの包装や、灯芯を包む紙としても重宝されてきました。
さらに、内子町は「いかざき大凧合戦」をはじめとする凧合戦で知られています。大洲和紙は軽くて破れにくいため、風をよく受け、安定して空高く揚がる凧に適しているのです。

紙漉きが冬の季語である理由

2008年創業の「五十崎社中」(喜多郡内子町)を訪ね、実際の作業を見学させていただきました。案内してくださったのは、創業者で代表を務める齋藤宏之さんです。

最初の工程では、和紙の原料であるコウゾ・ミツマタ・ガンピなどの木の皮を数日間水に浸してやわらかくしてから、苛性ソーダなどの薬品で2〜3時間煮沸します。
次に、繊維以外のごみを取り除くために水洗いを行い、1週間ほど水にさらしたあと、漂白し、再び水洗いします。昔は川で洗っていたそうですが、現在は水槽に地下水を貯めて行っています。このように、和紙づくりには大量の水が必要となりますが、そのため、水がきれいな土地では、日本酒と同様に良質な和紙がつくられます。ちなみに、内子町内には千代の亀酒造や酒六酒造があります。
原料から不純物を取り除く、ちりとりの工程を経て、いよいよ紙漉きの工程へと進みます。

ちりとりの工程後、束になった原料の繊維を漉き舟に投入します。さらに、トロロアオイ(アオイ科の植物。根の部分を潰すと粘り気のある成分「ネリ」が出る)を、繊維が沈まず、水中で均一に分散するように加えてかき混ぜます。
中腰の姿勢で、縦横に簾を揺らしながら紙を漉いていきます。手の皮がむけることもある重労働です。極寒の時期に紙を漉くことを「寒漉き」といいますが、雑菌が繁殖しにくく、木の繊維を分散させるトロロアオイの粘りが長持ちするため、2月頃が紙漉きには最適だそうです。「紙漉き」が冬の季語であることにも、納得させられます。

活版印刷への興味から紙漉き職人を志し、地元・岩手を離れて、内子にたどり着いてから5年。まだ20代の若き職人、千葉航太さんに、手漉き和紙の魅力や仕事の難しさについてお話を伺いました。

「アレンジがしやすく、小回りがきく。そこが、手で紙をつくる一番の魅力ですね。難しいのは、同じ重さの紙をつくり続けることです。紙の原料となる繊維は槽から少しずつ減っていくので、1枚目と50枚目では、どうしても重量が変わってしまいます。それを均一に保つには、漉く速度や揺らし方、すくい方など、動作の細かな調整が必要になります。理想の職人は、1回の100点よりも、80点を出し続ける人、ムラのない人です。私の師匠である80歳の女性の職人が、まさにそうですね」

漉き上がった和紙は重ねて一晩置いたあと、水分を取り除き、半分ほどになるまで圧搾します。凹凸のない和紙をつくるために欠かせない工程です。重ねても紙同士がくっつかないのは、トロロアオイの働きによるものです。
そして、一枚一枚はがし、乾燥機を使って乾燥させます。

大洲和紙に革新をもたらしたギルディングとの出会い

ギルディングとは、紙や木材などに金属箔を貼りつけて装飾を施す技法です。
大洲の手漉き和紙と、フランスのギルディングという両国の伝統工芸を融合させた「ギルディング和紙」は、葉書やパネル、壁紙、建具などに用いられ、さらに個人邸をはじめ、カフェやレストラン、ホテルまで、幅広い用途や場所で採用されています。

齋藤さんが、御朱印状にギルディングを施しているところも見学させていただきました。
まずは、紙の上に、型にあわせて糊を塗ります。次に、金箔や銅箔をのせ、ローラーで平滑にしたあと、ブラシで円を描くようにこすっていきます。すると、糊を塗った部分が、金や銅の美しい色合いで鮮やかに彩られます。

「一見、簡単に見えるかもしれませんが、糊の配合などが重要なポイントになります。また、金箔は、真鍮の金箔を酸性の液体で酸化させたもので、フランスから仕入れています。貴重な素材なので、無駄にすることなく、大切に使っています」

糊を塗った上に、金箔や銅箔をのせ、ブラシでこする工程。

すると、下地の絵に合わせて、金や銅の箔がきれいにのります。

伝統と革新、地域と世界を結びつけ、新たな産地の姿を

齋藤さんは五十崎社中を創業する以前、IT企業でシステムエンジニアに従事していました。和紙や手仕事とは無縁の人生だったのです。

「2008年、妻の故郷である内子を訪れた際、地元の和紙産業が衰退の危機にあることを知り、産地の現状に危機感を抱きました。産地の中心的存在であった天神産紙工場も当時は80〜90代の職人が中心で、数年で廃業せざるを得ない状況にありました」

義父が商工会の活動のなかで取り組んでいた「JAPANブランド育成支援事業」の話を聞いたことをきっかけに、和紙産業の再生を自らの仕事にしようと決意します。さらに、フランス・パリ在住の壁紙デザイナーで、国際的な金箔技術の権威として知られるガボー・ウルヴィツキ氏が、アブダビの展示会で大洲和紙に関心を示し、2年間にわたり内子に滞在しながら技術指導や共同開発に協力するという幸運も重なりました。

ウルヴィツキ氏とともに確立した「ギルディング和紙」は、大きな成果をもたらしました。日本の伝統的な金箔技法とは異なるアプローチで、独自配合の糊を使い、光の反射や凹凸を繊細に表現できる高度な装飾技法は、模倣が難しく、内装材やアートワーク、照明など多用途に展開できる点が強みとなったのです。
この技法を携え、海外の展示会にも積極的に参加するようになり、国際的な評価を高めたことで、国内外から製品開発や、空間内装プロジェクトなどの依頼が寄せられるようになりました。現在では、20代から80代まで、10名ほどのスタッフが働くチームへと成長しました。

最後に、未来の展望について伺いました。

「『職人を継続的に雇用し、賃金を上げられる仕組みづくり』を最優先に考えています。そのために、直販の強化や体験価値の向上、海外拠点の設置などを検討しています。個人的な夢としては、台湾やシンガポール、そしてニューヨークに支店を構え、世界に向けた拠点をつくることですね。私が創業した頃、衰退の危機にあった大洲和紙は、新たな価値と市場を切り拓きつつあります。伝統と革新、地域と世界を結びつけることで、次世代へとつながる産地の姿をかたちにしていきたいです」

撮影/柿崎豪
編集/森木友香、玉井瑞木

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